MASAのジンバブエ報告

IPA南アフリカ支部訪問等
日時 : 2003年11月11日 19:10


IPA日本支部各位


ジンバブエに来て、かれこれ、7ヶ月になります。
8月の夏休みを使って、南アフリカを訪問し、その際IPA支部の皆さんにお世話になりましたので、これまでのことを少し、長くなりますが(重くなりますが)書かせていただきましたので、送ります。

在ジンバブエ共和国IPA日本支部会員
IPA日本支部前事務局長


IPA南アフリカ支部訪問

赴任地であるジンバブエ共和国に到着し、大使館勤務を始めて、はや6ヶ月が経過しました。
 一般的に想像するアフリカとは異なり、ジンバブエの首都であるハラレは1500メートル地帯と言うこともあり比較的過ごしやすく、政治経済の安定していた2000年までは、アフリカのカリフォルニアといわれていたのも頷けるほど、気候的にはすばらしい土地です。

しかし、昨年10月に事前に訪問した際の公式レート(固定制)は、1米ドル=55ジンバブエドルでしたが、1月からは824ジンバブエドルとはなったものの、実勢レートであるパラレルレートは今や6000ジンバブエドルとなり、インフレ率も500%を越え最悪の経済状態の中更に現金が不足する始末で、生活困窮者達による強盗犯罪の増加、首都においてはアフリカの他地域から入ってきた出稼ぎけん銃強盗、侵入盗、殺人が発生するようになり、治安も悪化傾向にあります。

 イラクのように誰にでも見てわかるほどの治安の悪さではなく、ジンバブエ人にとっては毎日毎日真綿で首を締め付けられるようにして生活が困窮していく様は、想像がつかないような状況にあります。

 その我々でさえ、国内の銀行ではUSドルを入手できず、海外に定期的に公金とともに私金も下ろしに行かなければ生活が滞ってしまう、といった、いわば綱渡り状態の生活を強いられています。

 その他、国際クレジットカードをこの国で使うことはきわめて危険で、レートの魔術により数倍もの請求が来ることを前任者から聞いていることから、使うのは非常時のみと考えています。

こういった国での生活の中ではスポーツをするといっても非常に限られている上、精神的にも肉体的にも活力を取り戻すためには、やはり、先進諸国への旅行が一番と考えるのは当然でありながらも、日本では長期的に休暇を取ることに罪悪感を覚える体質になってしまっている自分にとっては勇気のいることであるものの、海外にいる間にしかできないことと割り切り、比較的長期的な休みを取り、家族サービスにもいい、お金もかけずに、ということで、最初の夏休みに選択したのが隣国、南アフリカに行くことでした。

 南アフリカ支部の会員とは、JICA支援の警察実務研修で東京に来たステファンを、警視庁の会員、当時警察庁鑑識課へ出向中の香川県の会員と三人でアシストした経験があり、更に、私が日本支部の代議員としてアメリカ・リノの世界大会に出席した際に再会して親交を深めたという因縁もあるのです。

これにはまだおちがあって、その帰路何人かのIPA役員と(私は家族ともども)、サンフランシスコに立ち寄ったその翌日、例の9.11テロに遭遇し、一週間もの間同じホテル(アメリカ、リージョン9のプレジデントで、サンフランシスコ市警察の本部長代理に紹介してもらった中国系の簡易ホテル)で苦楽を共にし戦友とも呼べる中になり、別れの時は皆で涙を流して再会を誓ったということもありました。キプロス共和国の世界会長、イギリスの当時の世界事務局長夫妻、ルクセンブルクの前世界会長で顧問夫妻、ドイツ支部代議員一行、南アフリカ支部代議員一行との密接な一週間は忘れることはできません。

しかし、何よりも妻にIPAの良さを理解させた一週間でした。
従って、私にとって、南アフリカはどうしても一度訪問しなければならない支部の一つでしたが、昨年の10月のジンバブエ訪問では、南アフリカでIECがあったことからわざわざ南回りにして南アフリカを経由したにもかかわらず立ち寄ることができず残念な思いがしました。

それが、今回は、南アフリカを訪問するばかりか、支部本部への立ち寄り、更にIPAハウスに泊まる機会にも恵まれたのです。

ちなみにきちんとしたベットルーム、シャワー付で一泊日本円で一人1500円くらいでした。   事前に何度もトラベル担当のアーウィーさんにインターネットを通じて旅行計画をお願いしIPAハウス3泊、クルーガー国立公園内のロッジ3泊、7月23日から29日まで6泊7日の旅行計画をアレンジしてもらったのです。

写真:IPAハウス

 ジンバブエのハラレ国際空港から南アフリカのヨハネスブルグまではわずか3,4時間の飛行時間ですが、大使館の担当官として邦人旅行者には「ヨハネスブルグ空港の外は危ないのでトランスファーの場合は可能な限り空港内から出ないで時間を過ごすように」と呼びかけている手前、当初、南アフリカ大使館の警備対策官(京都府警)に事前に両替(空港の両替所前が一番危ない)や迎えを頼んだのですが、当日アーウィーさん自身が出迎えてくれ、レンタカー(新車のヒュンダイでした)の予約の上、ヨハネスブルグからプレトリアまでの40分の道を先導してくれてIPA支部本部、IPAハウスまで案内してくれたのです。
 
日本でIPA支部本部やIPAハウスを作るなど夢のまた夢ですが、とても立派な元宗主国のイギリス式のパブが付設されており、どちらでも歓待を受けたのです。

 しかも、二日目の晩はIPAハウス付設のパブで妻の40回目の誕生日を祝うことができ、それに呼応した多くの警察官との語らい、歌、そして日本からの初めての訪問ということで南アフリカ支部会長からの歓迎の言葉、等々いただき、感謝の言葉は言い尽くせませんでした。

写真:アフリカの夕日

 妻が気をよくしている状況で、私は、これが誕生日プレゼントだといって、この年のプレゼントは安く済ませようとしましたが、後でとんでもない出費が待っていようとは、このときは思いもしませんでした。

 ジンバブエでは英連邦からの経済制裁から慢性化したガソリン不足で、外交官といえども長距離のドライブが不可能な折、豊富にガソリンがあり、どこへ行ってもガソリンが売っているという状況、そしてドライブインで何でも買える、しかもジンバブエでめったに見ることのできない砂糖が売っているという日本ではごく当たり前の状況下に驚き、なぜかすぐに砂糖を買ってしまった自分がジンバブエ人になっているのに気がつきおかしくなったりもしましたが、10kgの砂糖はしっかりスーツケースにもぐりこませました。

 プレトリアについて三日目の朝、IPAハウスを出発し、600kmの長距離ドライブでクルーガーパークへ向け出発しました。オートマチックしか運転できない妻を運転サブにはできず、全ての行程を一人で運転するのはどうか、とは思いましたが、すべて120km制限のハイウェイは快適で午後2時ころにはすでにクルーガーパークのゲートの一つがある町に到着しました。

写真;誕生会

途中で一回給油したり、食事をしたり、コーヒーを飲んだりと、のんびり来た割には早く着きましたが、遅い昼食をとった後、珍しさが先に立ちゲート近くのショッピングセンターでうろうろした後、目指すゲートに向かい、とうとう待ちに待った野性空間に入ったのです。

ゲートではIPA会員としての予約が入れられており、事前に申告しておいた国際クレジットカードにより全ての料金が落とされスムーズに手続きが行われましたが、密猟者の入場を阻止するため車両及び荷物のチェックがなされました。公園内は道なき道を自由に行くことはできませんが、この公園は4ヶ国にまたがる広大な敷地ですので勝手に動き回るよりは、あらかじ作られたメイン道路とサブ道路を行きながら各自で動物を観察する方が効率的で危険も少ないということのようでした。

ビック5を何とか見つけようと、あせりながらも初日のロッジを見つけながら、突然目の前に現れた象、翌朝水呑場にやって来たキリンなど出足は好調で、ライオンを除くビック4までは制覇したのです。

写真:南ァIPAパブ

キャンピングカーで来たり、バーベキューセットを持ってきたりと、国立公園内での過ごし方に慣れており、次に来るときは最初からバーベキューができるようにと考えたりしましたが、妻のほうは長距離ドライブが懲りたのか、次は直接飛行機移動でケープタウンにしよう、といっていました。なかなか予約が入れられないものの南アフリカが誇る「ブルートレインによる移動」に何とか挑戦したいと考えています。

そして、IPAハウスに戻り、最後の夜は半年以上夢に見ていた、刺身と、てんぷらを日本料理店で食べ、ジンバブエに戻りました。 ジンバブエでは、ドライバーが空港まで迎えに来てくれており、「やはりジンバブエもいいな、我が家に帰ってきたんだ」と、ふと、感じました。
 

写真:南ァIPA本部パブ


写真:南ァIPA本部前